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会社概要

南景製陶園について

南景製陶園は、三重県四日市は霞ヶ浦の駅近くにある小さな窯元です。手がけているのは萬古焼きの急須と湯のみ、ときどき食器。1913年、土を掘り起こしては水簸(すいひ)し販売する「陶土屋」として始まり、陶器製造に舵を切ってからおよそ50年が経ちました。私たちが形作るのは、日々の道具です。

故の頃より色を言葉に、四季や風土を形に、豊かな暮らしを営んで日本人の感性が、道具の姿をつかさどり、これまでも慎ましやかな暮らしを支えてきました。そうして連綿と紡がれる文化を重んじ、永く向き合うことのできる物作りを通し、これからの時代も豊かな日本の暮らしが育まれていくことを願っています。

南景製陶園の物作り

 陶器の製造には、手引き、機械式ろくろでの動力成形、石膏型を用いた鋳込みがあります。私たちはその全てを使い分けることで、急須や湯飲みなどを手がけてきました。なかでも5パーツからなる急須は、胴体、蓋、すすぎ口、持ち手の4つを動力成形で起こし、細かな修正を手作業で加えます。茶こしは一つ一つ手作業で仕上げ、職人はそれぞれのパーツを丹念に接合していきます。素焼と本焼成、蓋のすり合わせ、そして3回の検品などを含めた13行程は、およそ1ヶ月半の道のり。

それぞれの個体には微妙な表情の違いもあります。大切に使いながら、愛着を深め、心地よいお茶のひと時を過ごして頂けましたら幸いです。

円錐・円柱の湯飲みや抹茶椀など、本来の用途に即した使い心地を大切にしながらも、弊社独自の概念で作られた製品もございます。破損や汚れ、安全性などには十分ご注意をいいただき、どのようにお使いいただくかは、閃きにお委ねいたします。きっと様々なかたちで、活躍してくれるはずです。

萬古焼きと四日市

 萬古焼は、今から300年程まえ、江戸時代の豪商・沼波弄山(ぬなみろうざん)の茶趣味が嵩じて四日市のお隣、桑名に最初の窯が開かれたことに始まりました。「いつの世までも栄える優れたもの」と想いを込めて押した「萬古不易」の印から、萬古焼と呼ばれるようになり、一度は衰退もしたものの、100年後の1832年頃より、文人界隈で流行した煎茶に合わせ、木型を用いた急須を考案したことで再興し、四日市にも開窯されます。

第二次大戦期は金属資源の不足から鍋や洗面器など様々な代用陶器の生産を手掛けると同時に、空襲により8割もの窯を失います。そのごようやく本来の急須や土鍋の生産を回復させ、粘性の高い独特な土を用いた、軽く硬く焼き締めた萬古の急須は、常滑と並ぶも急須の産地として育まれています。